「死」というものを意識することで、本当にやりたいことが見えてくるのではないか
またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないかい
残された日々の短さ 過ぎ行く時の早さを
一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい
かけがえのない時間を胸に 刻み込んだかい
これはかりゆし58「オワリはじまり」の一節である。
僕は一生は有限であること、「死」というものを意識した時に、自分がやりたいことが自然と浮かんでくるのではないか、と思う。
限られた自分の人生をどう使っていくのか、どう使いたいのかが現実味を持って表れてくるのではないだろうか。
人には死が訪れること、死というものを考えた時に言い表せない恐怖を感じるという「事実」は変わらない。
しかしその「事実」を利用して、自分の人生について深く考えようという「解釈」を施すことは出来る。
死と向き合うことは大変だ。しんどい。
しかし、ふと死というものを「意識してしまった時」、
自分はこの人生をどう過ごしていきたいのか、
自分のやりたいことは何なのか、
についてせっかくなので思いをはせてみてはいかがだろうか。
私は彼女がほしいぞ
一生が有限だと悟った時、
「一歩踏み出す勇気」が必要なのだと気づいた
人生はトライアンドエラー
後は長らく地中に埋まっている恋の芽が芽吹く日はいつぞや